Andy Worhol展(ラファエル前派も)
所謂 森美はしごしてきました。
なんかアンディ・ウォーホルの先行イメージがあまり良くなくて、アメアパ系女子とか浅いくそ男とかが「アンディウォーホルいいよね~(ドヤ)」と言って酔いしれているイメージがあった。そんな感じの人々は若干イラッとするとも思っていて。。だから自分の中であまり大声で好きと言えないアーティストという位置づけにしていた。
まあアメリカンポップアートなんて消費を目的としたアートだし、アートを見る!というよりは可愛い雑貨を見に行くつもりで行ったけれど、思ったよりもアンディウォーホルの哲学というのが私的にぐっときた。
アンディウォーホルって本当に「アメリカらしさ」みたいなものを体現?している。大量消費、アメリカ賛美、大衆、、、すべてのシンボルを持っていた。
ハインツ、キャンベル、ハリウッドスター、レーガン大統領。去年とったアメリカ論でこのすべてはアメリカの大量消費社会と大衆向け文化の象徴とやったのを思い出して繋がった気がした。
ファクトリーと呼ばれるアトリエ的な場所で芸術作品を大量生産するというのはその時代では革新的なことだったのかな。大量生産が不可能に近い西洋絵画がメインストリームだったころと比べたら本当にそのアメリカ的な考え方って衝撃だったんじゃないかと思うんだけれど・・・。
アンディウォーホルは「アートが選ばれた少数のためにあるべきだとは思わない、アメリカの一般大衆のためさ」とか「表面がすべて、裏はなにもない」だとか「記者が求める通りに僕は答えるよ」と言い残したらしい。
それは少しidol的というか、大衆に求められた通りの自分を演じ続けるという意思表示なんじゃないかな~と私は感じた。大衆っていうとても身勝手で残酷で流されやすい最低最悪な集団(だと私は思っている笑)に消費されるというのは血の通った人間には到底不可能だ。だってとりあえず人間は消費物ではないし。しかしアンディウォーホルは「人間はすべて機械であるべきなのさ」と言っている。それって、時代に合わせて人間も消費されるようになるべきだという彼なりの哲学があるのだろう。
アメリカンポップアートってまあ”アメリカン”がついているだけあって資本主義の権化みたいなアートなのかもな~~けど、持ち物として「消費」しやすいので私は普通にすきです。
けどアートは大衆向けであるべきなのか選ばれた少数にあるべきなのか。大衆向けはアートじゃないのかっていう論争は割とあるようなないような。まあどちらにしろアートがアクセサリー化するのはよくないのかね。いや、結論別にそれぞれの楽しみ方があるんちゃうとか思うけど・・笑
ラファエル前派はふつうに綺麗でした~終わり~
いや、あの写実的だけれども神話モチーフなのすごく好きです。ただその一言に尽きます。
いつかの世界史本で読んだアーサー王の7人の予言?みたいなシーンの絵がすごくすごく綺麗で絵柄的にラファエル前派っぽかったんだけど未だに見つからないのが心残りだなあ。