the garden of entropy

芸術カルチャーらへんが好きなKO学生が書く粗雑な感想たち。基本思いつきなので途中で投げ出したりするけど許してネ。

ホー・チ・ミン市のミラーボール―②

 朝早く日本を出て、着いた先はかのホー・チ・ミンシティであった。想像はしていたが、熱い。春とはいえここは熱帯だ。

 空港を出て驚いたのは、そのほとんど無秩序ともいえる道路交通だ。バイク大国であることは知っていたが、交通ルールって何?レベルのなんでもありな状況であった。日本よりも数十倍交通事故が多いらしいが、そりゃそうだろうという感じ。バイクの多さは本当に笑ってしまったし、しかも渋滞を避けるために歩道を爆走するバイクもいる! 日本とは比べものにならないレベルの無秩序さであった。 

ベンタイン市場前の道路。実際これ以上にバイクの数は多い。

 

  ホーチミンシティはプロトタイプ通り「東南アジア」「発展途上国」の風景だ。私はこの景色を見たことがある、と何度も思った。フィリピン、インド、ブータン…。タイはバンコクパタヤしか行ったことないから何とも言えないけれど、もうちょい綺麗だった。あの排気ガス、土埃、屋台、市場…そして何処か生き生きとした人々はこの国々が共有する風景なのだろうか。強い日差しの中で立ち上る陽炎と土埃、どこかれかまわずゴミを燃やす感じが同じである。あとやっぱりちょっときたないところが。笑 

 同じ様に「この景色を見たことがある」と思ったのは、ホーチミン市中心部にある人民委員会である。人民委員会前には大きく手を挙げたホーチミン像が佇んでいる。

 大きなホーチミン像。その前はサイゴン川まで大きな開けた通りとなっており、噴水等が置かれている。夜になると多くの人が集まる憩いの場だ。まさにこの風景、チェコで見たことを思いだした。プラハの春が行われたあの ヴァーツラフ広場だ。

 思えばロシアも赤の広場はこうやってレーニン像を中心として開けた広場だろうし、旧共産圏、社会主義に共通した広場の作り方なのだろうか。

 因みにこの銅像からサイゴン川に広がるグエンフエ通りは中々いい感じである。歩行者天国とされている真ん中の大きな道は、人民委員会からサイゴン川まで続く。夜になるとライトアップされ、そこらへんがストリートミュージシャンや語らう若い人たちで溢れかえるオシャレスポットだ。真ん中のホコ天をバイクからの逃げ道としてよく利用していた。

  昼間の日差しが容赦なく体力を奪っていくホーチミンシティ。そんな場所での夜は涼しくて過ごしやすい時間であった。ルーフトップバーから見るサイゴン川にはハイネケンの広告が光り輝いている。(ハイネケンの赤星とベトナムの国旗の一致は敢えてなのだろうか)

 

 今回題名として借りたのはdCprGの曲名である。旅紀行の題に曲名を借りるのは少し恥ずかしいが、この曲を聴いた時の感動が忘れられなかったので引用させて頂いた。DCPRG、今や改名しdCprGである。アフロ=ポリリズムを切り開いたバンドだとか専門用語を使いだすと私も自信が持てないので省くが、どこかでチラっと訊いた(一度下っ端としてインタビューに行った時かもしれない)ご本人の発言で「アメリカなるものを表現するために結成したバンド」とおっしゃっていたのをうっすら覚えている。

 アメリカなるもの。それは日本に住んでいる私達が言うことで独特の意味を帯びる気がする。日本が第二次大戦でアメリカに敗した後、ベトナムは同じくアメリカと泥沼戦争を行った。枯れ葉剤、ゲリラ、北爆、反戦運動。当時ベトナムの人々、そしてアメリカの兵士たちの命は塵よりも軽く扱われていた。ベトナム戦争の話はハノイでの滞在や戦争博物館についてを交えつつ次で書こうと思う。フォレストガンプを始めとしたアメリカ映画たちにもベトナム戦争の暗い跡がちらついている。アメリカなるものにとって、ベトナムとはどういった意味を持つのだろうか。

 ホーチミンシティ、かつてはサイゴン。元々はアメリカによる支援を受けていた南ベトナムの首都だ。二次大戦からインドシナ戦争中越戦争に至るまで彼らは40年間、ずっと戦争をしていた。アメリカ、ソ連、フランス、中国という大きな力を跳ね除けるために。そんな中、1975年4月30日、北ベトナムの猛攻によりサイゴンは陥落し、翌年1976年7月2日ベトナム社会主義共和国が建国される。彼らは米ソが全てを握っていた世界構造に一つの大きなヒビを入れたのだ。マルクスレーニン主義に感動し民族独立を夢見たホーチミンの心は叶い、ドイモイ政策での急成長でベトナムは今や世界経済を支える国となっている。

 アメリカにとって、ベトナム戦争は誤算だったというのは有名すぎる話だ。しかし、あの大きな国はベトナムの存在によって、自身の持っている矛盾に気付かされたのではないか。60年代、ホーチミン市のミラーボールはベトナム反戦運動に明け暮れ、段々と厭世的になっていく若者たちを照らす。そうして70年代、アメリカでは厭世を吹き飛ばすディスコ・フィーバーが起こる。それは絶望の後に人々が作りだした悦楽だ。

 ミラーボールはディスコの上で回り続ける。毒々しい光を反射させ、踊っているもの達を夢へと誘う。ベトナムの国旗は真っ赤な色の中心に、鮮やかな黄色い星が描かれている。流された血の上に光るその星は、独立の象徴だ。私達アジア人にとっては、ホーチミン市のミラーボールは20世紀の悪夢に唯一光る希望なのかもしれない。

一応、ホーチミン市のミラーボールらしきもの。