the garden of entropy

芸術カルチャーらへんが好きなKO学生が書く粗雑な感想たち。基本思いつきなので途中で投げ出したりするけど許してネ。

バンコクに留学しています ギャラリー巡り1

 数日前からバンコクに滞在しています。大学の交換留学でタイのチュラロンコン大学(タイでは少し保守的な国立トップ校)にて文化政策を学ぶ予定です。

 一応悪筆ながらバンコクでの生活や芸術、アートの調査等を自分なりに行ってみたことをこのブログで記録していけたらなと思います。けど普通に趣味のことも書きなぐるつもりですイェーイ

 

 昨日はとりあえずギャラリーを幾つか見てみようということでエカマイやプロムポンあたりをうろつく。

 ギャラリーが駅近にあまりなく(公立のは駅前なんだけども)モーターサイというsoi(通り)の中なら値段据え置きで乗れるバイクタクシーにて移動。普通20Bのはずだが韓国人だろと30Bぐらいとられる。いやコンイープン(日本人)だわと思いつつ金を払う、今度は強めに行こう。

 まずはS.A.C.Subhashok The Art Centerを訪ねた。メインギャラリーは丁度展示替えで常設展しかやっていないとのこと。ありゃまーと思っていたらキュレーターのお兄さんがお詫びにオススメのバンコクのギャラリーを全て教えてくれるということでバンコクアートマップ(ギャラリー等が共同で制作しているらしいマップ、全部英語なので有り難い)を参考に色々お勧めギャラリーを聞いた。一応こちらにもメモ→○Case Space Revolution○Gallery ver N22○C.a.p studio Residence(これはチェンマイだそう)

 ギャラリー自体もあまり人が来ないらしく雑に作品置かれてるわ温度調整されてないけどええんか?!と心配になったが作品自体は良かった。サブ展示は、本業はファッション写真家のLik Sriprasertの展覧会をやっていた。美術を学びながら写真も制作していたようで彼の作品は確かにファッショナブルなポートレイト風の作品が主だ。色彩の用い方は少し暗いが暗い中にビビットな赤や青をアクセントにしている。

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 次に向かったネットで調べていたギャラリーは潰れておされレストランになっておりメンブレ。わざわざGrabしたのに…(東南アジア専用のタクシー配車アプリ、割高だけど安心なのだ) レストランのお兄さんにドンマーイ~マイペンライ~エカマイ楽しいで~と言われながら帰り道スコールに降られる。けどモールの入り口とかでたむろしながらスコールをみんなでやり過ごす感じが凄い楽しい。近くのねえちゃんはスコールの間食べてたケンタッキー三本を雨が上がった瞬間ポイ捨てして猫にあげていた。うーーん、食物連鎖(??)

役に立たないものは価値がないのかっていうことは芸術が基本否定してくれてます

 相模原事件の際、ネットで犯人の思想に関して「考えていることは正しい」と結構擁護する意見が多かったのを見たときから日本の社会にある「役に立たないものは価値がないもの、存在すべきではない」という価値観について考えていた。

 最近問題になっている、杉田議員が「生産性の無い人々に支援する意味はあるのか」ということを言っているのをみて、やはりその価値観は日本のメインストリームなのだなと感じたのと同時に私自身のその考えを内在化させていたことに気が付いた。私の場合他人にそれを向けるというよりは自分自身の立場や属性等から私なんて…という自己コンプレックス方面に振り切ってたため僻み根性みたいな感じだったが、結局あり得ない!と批判していた杉田議員や植松容疑者と同じ価値観を自分の中に持っていたのだ。発露の仕方が違っていれば私もこの人たちのようになっていたんだろうなと思いゾッとした。結局自分に向くか他人に向くかの違いだけだったのだ。

 

 この前、小説家の王谷 晶さんが数年前自分がネトウヨだった時を書いた記事を読んだ。王谷さんが「学歴も職もなく人生からコースアウトしてしまったと思っていたけれど、それでも「日本人」という属性だけは剥がれ落ちていない。だからそこを褒められると自尊心がくすぐられて、嬉しかったのだと思う。」と記事で書かれていてあーーそうかーーネトウヨになる一部の人たちもこの価値観を内在化させてるからなのかーーと膝を打った。役に立たないゴミみたいな自分でも日本人である内はマジョリティ、価値があるから存在してもいいとなる気持ちはよく分かる。ネトウヨに対しても(まさかのネット上にて)噛みつきがちな私だったが結局その人たちも同じ価値観を有して日本に暮らしている人間だということにそこで気が付いた。 

 日本の大多数の人が「役に立たないものは価値がないもの、存在すべきではない」と信じていて、そこから逃げるためにある人は技能を磨き、ある人はSNSで成果や充実、貢献をアピールしそこからあぶれた人たちはコンプレックスや歪んだ愛国心を持ち、そして全員が価値のないものを排除する方向に行く。

 

 かつて坂本慎太郎No music No Lifeのコピーに「音楽は役に立たない。  役に立たないから素晴らしい。 役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。」と書いてあって、見つけた私は感動して一時期待ち受けにしていた。「役に立たないものは価値がないもの、存在すべきではない」へのアンチテーゼはまさにこれなんだろうと思う。

タワーレコードホームページから

 

 ホドロフスキーの「リアリティのダンス」も障がい者を虐げていた父が障がい者になり、そして差別していた彼らから真の愛を与えられるという描写があって構造がうまいなあと感じていたが、このご時世に生きる今彼が晩年描き続けている生命礼賛の大切さを感じる。私はまだマジョリティに染まってねえヅラして生きてきたが、もう全然まだまだなのだなということを最近気が付いたので自分自身と向き合って価値観を流されないように生きていく。役に立たない、低スペック人間は価値がないものだと平気で言ってのける世間にNoを突き付けられるよう強い意志を持ちたいですな。   

シンプルなブログ 

 

 最近オタクがやや再燃してきたのでまた楽しくブログを書こうと思います(何度目の宣言だろうか)

 

 この前に書いた幾つかのブログは、全体的にレポートを書く気概で書いてしまった。というのも、きちんとライターさんのように書かなきゃいけないと思い込み、それもうまくできずに楽しんで書けなかったのでこれからのブログは楽しく書くことを大事にしようと思う。自分が楽しくなければ読んでる人も楽しくないし自己満足にもならないので無駄すぎる。

 

最近の興味範囲

・アジアのコンテンポラリーアート、カルチャー

・ポストコロニアリズム(カルチュラルスタディーズ)

・綜合芸術

カンディンスキー

・画家の舞台芸術について

フェミニズム(日本での独特すぎる位置づけの理由を知りたい)

サイケデリックアート

坂本慎太郎

・ジャニーズ(キンプリ、かつん)

K-POP(BLACK PINK、てか私アイドル好きだな)

 

に基づいて雑多に書きまーす。

 

 私自身のこれからは、8月から一年タイ・バンコクに留学してカルチュラルマネジメントを学ぶ予定。目的としてはアジアのカルチャーに興味を持っていたのでそれを学ぶために交換留学を決めた。ほぼ本能で決めたというか、数年前バンコクにいたときに、交換で行く予定の大学キャンパスを歩いていて「私はこの学校に通うかもな」とふと思ったことがあったのでそれが今だ!と思いアプライを決めた。

 色々不安はある、日本の「新卒採用」やら所謂「普通」のルートから大きく外れたし芸術を貫くことに不安もまだある。けれど周りを見ていても、やっぱりきちんと自分の価値観、判断を持っていて、周りからみて凄い職業、じゃなくて自分がやりたいこと、楽しくできる仕事を選べる人は就職も諸々もうまくいっていると思うので、自分の判断でこの留学を決めたことは間違ってないんだろうと思う。なんだかんだ給付奨学金も決まったし。

 既に職業として考えてるところは幾つかあるけれど、それとも並行してインディペンデントに動ける人間にもなりたい。この前も取り合えず流行りのZine作ってみるかとかほざいてたけどアジアに関するテーマがぼんやりあるだけで形にできておらず。ブログとかのが向いてるかもと思うのでマイペースに紙もウェブも作れたらいいなと思います。同じ興味範囲の協働する人永遠に募集中。

市原佐都子/Q『地底妖精』

会場:早稲田小劇場どらま館

出演:永島由里恵(青年団)、中田麦平(シンクロ少女) 

舞台美術:高田冬彦 

 

 私達がいる世界は毎回何かを隠して均衡を保っている。実は人間の身体の中には汚いピンク色の臓器が蠢いていること、私達が食べた美味しいご飯はそこであの茶色い排泄物になること。私達が日々必死に消している汚物と死の臭気。

 

 

 市原さんの作品に出てくる登場人物、主に女性の身体は毎回緊張して強張っている。ヒステリック、痙攣、麻痺、不随の身体。異常にしか見えないその身体所作は生まれたまま、ありのままに生きられない歪な登場人物たちが必死に世界へ、社会へ輪郭を合わせようとした結果なのだろうか。彼女の作品には、その出自による血、先天障害、性別、見た目の醜さといった要素で「普通」からはみ出した人々が、匿名性を持って現れる。それは誰でもなくて誰でもある「普通」からあぶれた人間なのだ。

 「普通」の私達は汚物や死と同じように、普通ではない人から目を逸らしている。それか心の奥底にある異形への恐怖、差別、悪意を誤魔化した善意で彼らに優しさを「施す」こともあるだろう。見えない、見てない、けど、あるもの。市原さんの作品は、実生活では痕跡を消された「みえない」ものを暴いている。

 

 

  丁度アリストファネスを始めとしたギリシア喜劇について学ぶ機会があり、かのK先生から喜劇の要素は、セックス、スカトロジー、グロテスク(奇妙)という話を聞いた。その話を聞いていた時、私は市原さんの作品の構成要素はまさに喜劇ではないかと感じた。ギリシア劇には劇中でパラバシスという登場人物が劇の枠組みを逸脱して作者の信条等を語る場面があるのだが、劇中に何度か挿入されるユリエリアの演説のような語り(出自の特異さから妖精に受け入れてもらえない自分の立場、マーマレードボーイを例に出し何故愛があっても近親相姦は許されないのかという問い等)もパラバシスのようだった。

 演劇自体が身体や人に語り掛ける力の強いメディウムだと思うのだが、その中でも笑い、と身振り、言葉の強さがある作品は語り掛けるパワーが凄まじい。市原さんの作品にはその全てがあり、今回は高田さんによる臓器のような無数の地底芋が吊るされた舞台や、永島さんの迫力の白目ひん剥いた演技が合わさるので最早暴力的な力を持った喜劇になっていたと思う。素晴らしかったです。

ルドン 秘密の花園展

 三菱一号館美術館にて開催されている「ルドン―秘密の花園」展に行ってきた。オディロン・ルドンは19世紀のフランスにて活躍した画家でボードレール悪の華の表紙画等で知られている。私は元々ルドンの柔らかな色彩とパステルのタッチ、夢見心地でありながらどこか不穏な作品が大好きだったので展覧会もとても楽しく見れた。

 今回は三菱一号美術館が所蔵している《グラン・ブーケ(大きな花束)》を中心に彼が描いた植物画や担当した男爵の食堂装飾の作品を展示した展覧会となっている。色鮮やかな作品から木炭等で描かれたモノクロームの作品、そして灰色やセピアのような黄色で統一された室内装飾群といった展示作品を見ていると、ルドン独特の色彩センスに心打たれる。会場内のキャプションにて、彼がかつて教えを受けていたカミーユ・コロ―から「不確かなものの傍らに確かなものを置くといいよ」と言われたことを自伝で語っていたという事実が記されていたが、その不確かさは色彩によって表現されていたのだろうと感じる。緩やかな白昼夢とも悪夢とも思える彼の描く「夢」は水色と薄いピンク、そしてクリーム色に近い白を用いることによって鑑賞者を微睡みへと誘う。不確かな色彩は確かな生命である植物や建築と対比されている。また肖像画に描かれた男爵夫人はくっきりと濃い色彩を使いリアリスティックに描かれているが、背景は曖昧に彩色されており、確かさと不確かさの対比を感じた。

 

ルドンの世界は深く広く、それこそ人間の集合的無意識のような掴めなさと親近感がある。彼のただそれを表現しようとする姿勢に芸術家としての精神を感じる。霊感と書いてインスピレーションを受け取れるのでおすすめ。 

 

 

オディロン・ルドン―自作を語る画文集 夢のなかで

オディロン・ルドン―自作を語る画文集 夢のなかで

 

 

Q「毛美子不毛話」「妖精の問題」

TPAMの一環としてSTスポットにて二日に分けて観劇しました。昨年とついこの前に二つともスクリプトだけ読んでいたのですが、やはり演劇は文字と劇で全然違うのがとても印象的でした。

 特に「妖精の問題」は竹内さんの技量に役者さんの根性みたいなものを感じていやあ凄い、凄いなあと。まずスクリプトで二部をあんなピアノ伴奏付きで語る(しかもピアノがエモーショナルで素敵)とは考えつかなかった。けれどピアノの美しい旋律と豚の脂の臭いが立ち込める情景が混ざりあって露悪的な全てを更に強めていた、この世に蔓延る微妙な悪意と差別と嫌悪感をどでかく戯画化したのかと思いきや現代では意外と現実でこういうことが起きていることだよなあと思う。こういうナチュラルボーン・カルトは割とおばさんとか同級生、シェアハウスの人たちの間でも占いに始まり添加物フォビアやら放射能フォビアからの陰謀論とか語りだす友達のママとか実はいる。かつブスは死ねという男は学生時代なにも自分を省みることもしないで無恥に生きてたやつをお思い出す。Twitterで怒れる思考停止無知人間たちがマジョリティーになったら本当にこの戯曲のような世界が広がるんじゃないかと思う。これを見た後、横浜駅でホームレスと障がい者を見てどきりとした、恐怖みたいな後ろめたさみたいないやな気持ち。   

 毛美子不毛話は去年ノミネートされた際にスクリプトを読んで一番面白いと思っていたので絶対観ようと決めていた。合皮のパンプスと陰謀論に踊らされている従順なわたしと毛深くて強いわたし、フェミニズムか?と思わせるようでそんなことでもなくて、意味があるようで意味のないものの堆積がなぜか強く響く。俺巨根なんだわ、というチャームを唱え続けるヒロシ、寧ろ踊っている女、思考停止したOLになりたいと言ってなるわたし、全員が交わらない。けど全員似ている。不安とぽっかり空いた穴を埋めるためのまじない。ありのままで生きられない人間たちの不毛な人生。面白かった。もう一回観たい。武谷さん素晴らしかった。 

川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』

運動体と言葉、生理的で感覚的で恍惚とした発語。妖精みたいにかわいい女の人と朽ちた夢みたいなお洋服。空間に雪崩れてくる運動体、初期の川上未映子は神懸ってる、先端でさすわ、さされるわ、そらええわ。私も暗唱してみるか。言葉は発した瞬間に私達の鼓膜に届いた瞬間に別の何かに変わったりするし何にもならなかったりする。私の人生で見えなかったものはどこにいってしまったのだろうか。

 

 

先端で、さすわさされるわそらええわ

先端で、さすわさされるわそらええわ

 

 

 

水瓶

水瓶